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2013年5月

2013年5月 1日 (水)

韓国ドラマ「優しい男」見終わりました。

韓国ドラマ「優しい男」全20話見終わりました。一言で言うと、名作です。ぜひ見てください!・・とおすすめします。「ごめ愛」で何度でも泣ける私にとって、このドラマでも何度も泣かされました。そして、ラストシーンも美しいし、主演2人の見栄えの良さと脚本の素晴らしさであっと言う間に見てしまいます。韓国での題名は「世界のどこにもいない優しい男」この題名はまさにぴったり。何で変えたんでしょう。視聴者は、この世界のどこにもいない優しい男カン・マルにひたってくださいね。以下ねたばれ。注意です。未見の人はだめですよ。

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18話からは、ウンギはマルのことをとっても愛しているのだけど、彼の愛が信じられないため、彼の元へ戻ることができません。彼を嫌いにならなくてはいけないのに、心がマルを求めているというウンギが私のツボなので、とっても楽しめました。口で嫌と言っているのに目で愛を語るというムン・チェウォンさん。よろしいかと思います。

一方、マルは、優しい男ですので、ウンギ第一、彼女をいかに守るかということを考えます。でも、ある時、気がついてしまいます。一時へこむことはあっても、ウンギは守られなくても強く生きていけるということを・・・。人を守るなんて、けっこうおこがましいことです。まして、そのために、自己犠牲を伴うなんて、変です。まあ、人を守るという行動が、自分の趣味の一種なら本人の勝手ですが、受け取る方の状態によりストーカーにもなりえます。相手の状況を見て行動することが必要ですよね。まあ、その原因を人やものや環境へもっていくことなく、自分の人生は、自分の責任でもって、歩んでくださいね。

「世界で一番すばらしいおもちゃがあればいる?」と聞かれたら、「おもちゃは子供が欲しがるものだよ」と答えてください(ドラマ中のこの問答って最高!これを子供に言わせるとは・・すごい)。物質的な富や地位は確かにすばらしいおもちゃかもしれません。欲しい人はたくさんいるでしょう。しかし、人間としてのレベルが上がると、それよりもっと大切なものがあることに気がつくのです。精神の潔白さ・・・自分に恥じない生き方。それこそが、大人が欲しがるものであって欲しいのです。

私たちは、良い人間になろうとします。誰だってそうなりたいのですが、いろいろな理由でそうできないことがあります。少しの勇気が無かったり、守るべきものが多すぎたり・・・そこで、自分の判断基準を変えます。まあ、これくらいの行動なら悪くないなぁ^^。許される範囲だわ~。でも、その判断基準はどんどん甘くなっていきますので、自分の立ち位置を定期的に見直すことも必要でしょう。「天網恢恢疎にして漏らさず(天の網は粗いのですが、悪事を働いた人間は必ず罰を受ける)」悪事を働くと、どこかでそれ相応の仕打ちが待ってるはずですので、自らは、できるだけきれいな生き方をしたいものですね(なかなかできないんだけど、意識するかしないかは大きな違いと思います)復讐なんて、相手を傷つけると同時に自分を傷つける行為ですから、どこかで執着を手放すことも、必要かもしれません。

終盤のすごいところは、マルがジェヒに対して愛は無いけど、一緒にいようと提案するところです。これって優しいようで、とっても残酷。ちっとも優しくない。愛が欲しいのに、それはあげないけど一緒に居てやるといわれて幸せなはずがありません。また、マルが殺人罪の身代わりをしたことも、優しさでは無いとドラマ中で述べられています。つまり、マルは愛に一途ですので、待てるのですから、きっちり、ジェヒに罪を償わせたほうが優しかったし、ジェヒを幸せにできたというわけですね。私たちは、優しさがしばしば残酷さを伴うことを知っておかねばなりません。例えば、誰かを慰めるという行動は、その人に悲しい状態を再確認させる行動でもあるということです。ですから、このドラマの表題には大きな意味があります。「世界のどこにもいない残酷な男」の裏返しなのかもしれませんよ。

ドラマ中でも言われてましたが、初めは倫理に背き躊躇していた行動も、一度犯せば慣れてしまい、自分の判断基準がわからなくなるそうです。全然関係ありませんが、香水をぷんぷん匂わせている人がいますよね。あれって、自分の嗅覚が香水の匂いにマヒしてわからなくなっているのだろうと思います。でもって、自分で匂いがわかるまで香水をつけてしまう。すると・・・吐き気を催す香りを持った人間ができあがります(笑)。

最終話は、初めの映像の時計が進みはじめたり、マルの笑顔が表示されたりして、内容を暗示しています。このドラマはバッドエンディングでも作れたはずですが、最後にとてもきれいな終わり方を持ってきました。マルは、事故の後遺症の手術で、記憶を失い、新しい人生を歩み始めることになります。マルの願いは、普通の人のように生きて、普通の恋愛がしたいということです。こうして、自分のそばにいるウンギと再び恋を始めることになります。

ここでのポイントは昔買ったカップルリングです。これをウンギにプレゼントするシーンがあるのですが、私は、妙な違和感を感じました。新しく始める恋に対して、昔から持っているカップルリングを送るのは相手に失礼だということです。すると、そのカップルリングは本来の持ち主に対して、認識して送られらたということ。つまり、マルはウンギを認識していることを意味します。(記憶喪失から回復しているということね)マルの希望は、過去の自分との決別ですので、記憶は無いとしたのかもしれません。

最終話で気になったのは、病院を抜け出して、しかも調子の悪そうなマルをおいて、ウンギがタクシーに乗るところです。最期になるかもしれない2人で、涙をさそうシーンなんですが、泣けない。そりゃ、どう考えても無いだろう。普通は、病院までマルを送るはずだろう・・とつっこみます。さっさと病院へ戻ればよいマルが、わざわざ人がいないところまで行ってバタッでは、これもわざとらしすぎです。ですから、ここで終わったら、だめ~なドラマと評価したでしょうね。

まとめますと「愛のためには全てを捨てられる」「本当の優しさとは何か」「人生で目指すべきものは何か」「幸せは普通の中にある」「今の幸せに感謝して生きる」なんてことを感じさせてくれた良いドラマでした。

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以下は、これを言っちゃあ・・・という感じのおまけです(脱線)。

  • 「愛のためには全てを捨てられる」韓国ドラマでは良く見られるテーマですが、現実には難しい。そのため、その事実を知っている視聴者は、愛のためにすべてを捨てる主人公に感動する。一時の熱病で後悔することないよう気をつけましょう^^愛のためにすべてを獲得するほうが良いなぁ・・
  • 「本当の優しさとは何か」優しさは、そう感じる人の主観のかたまり。自己満足もあるかも。。。決して見返りを求めてはいけません。
  • 「人生で目指すべきものは何か」あまり難しいことを考えて生きていきたくない。何となく毎日が終わるんですよ^^
  • 「幸せは普通の中にある」「今の幸せに感謝して生きる」幸せも主観のかたまり。意外に幸せであることに気が付かない。人間の欲望には限りないものがあるので、いつまでも幸せと思わないかも。。。ただ、「幸せ」とつぶやくと幸せ度がアップします。感謝を知ると、大人になります^^

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