韓国ドラマ「外科医ポン・ダルヒ」11話まで見ました。良いドラマだと思います。
この間、印象に残ったシーンといいますと・・・
胸部外科部長が、新薬の開発に際し副作用を隠蔽しようとしたところで、ジュングンに「私の長年の夢なんだ」と説得していましたね。私は、「何を言ってるんだ。このバカ」という怒りでいっぱいになりました。そんな個人の夢とか努力で、わけのわからない薬を飲まされたほうはたまったもんじゃありません。自分で飲めよと言いたいですな。副作用のデータを改ざんして、患者に服用させることは、故意の傷害・殺人に匹敵する行動です。つまり、「私の生涯の夢は人を傷つけることです。だから見逃してくれ」と言ってるのと同じわけです。医者が患者の体にメスを入れることは、傷害罪の構成要件を満たしますが、そうならないのは、医療行為としての患者の同意があるからです。医者に対する信頼・・・これを裏切るような行為を行うことは、認めてはなりません。もちろん、ジュングンは、正直に学会で発表しましたね。
最近、ドラマを見ていて、登場人物の弱みを握った人物が強請・恐喝っての行うシーンを見るのですが、ちょっと考えることがあります。「ばらされたくなかったら、金を準備しろ」という、よくある脅しですよね。脅されている当事者にとっては、深刻な問題ですが、そのような要求には最初から応えないという方法をとるしか道がありません。つまり、そのような強請を働く輩にモラルがあるとは思えませんので、1度だけだから・・・といっても、金が無くなりゃ、また、やってくるにきまっています。結局は、全てを失い、その間、地獄のような精神状態を味合うことになります。最終的にひどいことになるのがわかっているのですから、最初から、もともとの原因を解決するしか方法がありません。それが、自分にとって酷い道であろうとも、モラルの無い脅迫者とつき合うより、ひょっとしたら親身になってくれる協力者・相談者が現れるかもしれない道(弱みを公表する道)のほうが良いと思いませんか?ですから、「どうぞ、ばらしてもらってけっこうです」と言いたいものですね(できれば・・・^^)。
「医者には、人間的な判断は必要ない。あるのは医学的判断だ」ってのも、難しい言葉でした。医療行為に感情を入れると、客観的な判断ができなくなるというわけです。うん、正しい言葉ですが、人間には感情がありますから、事実上そんなことはできません。できないならどうする。通常は意見の違う人と共に判断するのですが、それでも難しい。確かに患者と仲良くなりすぎるとつらいことのほうが多いけど、そこに喜びもあるはず。人間的な医者がいてもいいかなとも思います。(でも、腕が良くないとダメです。患者は占いや人生相談に来てるのでは無いですから)
ダルヒと子供の癌患者ドンゴンとのからみは、だんだん感動的になっていきます。最終的に、ダルヒの治療に対する進言はドンゴンの死を早めることになったのです。しかし、死を待つだけのドンゴンに希望を与えました。治療に対する希望・・・これは、病と闘う上で最も大切なことです。人間の精神的な力は非常に大きく、それにより免疫応答が上下します。ストレスを伴うあきらめは、抵抗力を奪うのです。病というハンデを自分が与えられた時に、如何に生きるかが問題なのですよ。ドンゴンは、病に打ち勝つ希望と同時に、体力がついていかなかった悲しみを体験しましたが、あきらめたまま死んでいくよりは、ずっと良かったと思ったに違いありません。しかし、このドラマでは、もうひとつの考え方を提起します。医師とは、医学的判断に基づいて、患者の延命を図る。つまり、医学的判断によると、ドンゴンに抗ガン剤治療を強行してはならないのです。そこには、生き甲斐とか希望の入る要素はありません。治療に向かう考え方は、難しいものがありますね。ここは、患者の選択に任すしかありません。治療とは、医師が行うものでは無く、患者と医師とスタッフが共に行うもので、決定権は患者にあるのです。
最近は、平均寿命も延びて、もはや、自分を認識できない状態でも心臓は動いているということも多くなりました。本人にとって、それが、生きていると言えるかどうかは疑問なのですが、家族にとっては、やはり生きていると言えます。この話を進めると、安楽死という問題へぶちあたりますので、止めときましょう^^。
医師をしていると、どうしても患者の死と向かい合うことになります。ダルヒも自分の患者が死んでいくことに直面します。これの精神的なダメージは大きいです。医師にとって越えなければならない山・・・担当患者の死です。自分の行動にミスはなかったか、もっと良い方法はなかったか・・考え出すと自己嫌悪とともに迷いがでます。ダルヒも一旦医師になるのをあきらめました。しかし、交通事故で死にそうな人を見て、医師としての本能が彼女を突き動かします。応急手当をして、病院に連れ添って、また、病院から逃げようとしたダルヒに向かって、ジュングンの強烈な言葉がとびます。「最善を尽くせば常に良い結果になるとは限らない。ミスとは第一線でやり通した人だけのもの。逃げた奴には、はじめから責任なんか無い」おっと~このドラマって、なかなか良い言葉を聞かせてもらえます。このあたりの展開は、しらないうちに感動させられてしまいます。いいんじゃない^^。
このドラマの楽しみ方がわかってきましたか?視聴者は、ちょっぴり落ちこぼれのダルヒとともに、ジュングンに褒められ、認められ、そして、本当の医師へと成長するのです。この一体感・・・失敗した時は悲しいし、仕事へのやりがいを感じた時はうれしい。こうなると、ダルヒと共に、歩んでますから、とってもおもしろいです。
本日のお言葉・・・「お前ならできる!」う~ん、言ってみたいし、言われたい言葉ですね。ただし、それなりの相手じゃないと・・・・ね。
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