韓国ドラマ「僕の彼女は九尾狐」見終わりました。
韓国ドラマ「僕の彼女は九尾狐(クミホ)」全16話見終わりました。ちょっと惜しいって感じですが、私としては、非常に良いと思ったドラマです。前半は、ムカツキキャラのチャ・テウンとあまりに可愛い(幼いとも言う)ク・ミホのエピソードに引く人がいるかもしれません。しかし、ストーリーは思っていたように切ない展開となり、最終話へと繫いでいきます。客観的には、まあ、おすすめ。主観的には、とってもオススメという変わったドラマです。
つまり、私としては、ク・ミホの一途さとか可愛さにノックアウト!この感覚は「君はどこの星から来たの」のボクシルに通じるものがあります。ストーリーは置いておいて、ク・ミホが可愛い。この感覚を持った人は、良いドラマというでしょうね。以下、ネタバレ。
このドラマのク・ミホは、もともと狐ですから、人間ではありません。ですから、自分の感情に正直です。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。本能に従って、自分の気持ちをそのまま口に出すのです。私は、このク・ミホを見て、うらやましいと思うのです。人間でないからこそできる正直さ・素直さに私は魅了されてしまったのです。
そして、このク・ミホは人間になろうとします。すると、働いてお金を得ること、人との付き合い方を考えること、学ぶことなど、いろいろなことを覚えていきます。人間になること・・・それは、つらいこと・・・実は、自分の気持ちのままに生きられないことなのかもしれません。ただ、テウンが好きという純粋さが、生きるということに変わっていくことが悲しい。このドラマの前半のテーマは、まさに、ここにあると思いました。
そして、次のテーマは年をとることは、悲しい事ではないということです。ク・ミホは、永遠ともいえる命を持っていました。それなのにわずか90年足らずしか生きられない人間になろうとします。私達は、死にたくない、若いままでいたいという、はかない希望を持っています。しかし、永遠の命をもつ者からすると、時が流れるということが逆に幸せなことだというのです。人生は有限であるから、少しでも自分の希望となるように、計画をたてる。そして、すごした過去を振り返って、自分の生き方を見ることができるという幸せがあるというのです。なるほど・・・確かに命が永遠で時が流れないなら、そこには虚しい思いが生じるかもしれませんね。隣の芝生は青いというように、自分の境遇でないものへのあこがれ。どっちが良いのかはわかりません。でも、現実には、人の命は有限で、選択できるものではありませんから、結局、与えられた範囲の中で、悔いのない精一杯の生き方をするしかないということです。
そして、最後のテーマは、人は愛する人のために命を捨てられるか?自分の命が無くなっても、他の人を生かしたい。国のために・・・家族のために・・・子供のために・・・そういうことができる場合があります。このドラマでは、テウンとミホは、自分の命を削ってでも、愛する人の命を救おうとします。迷うことのない愛。ドラマの中で見せられると美しいです。しかし、このドラマでは、それだけではありません。こうして救われた命を持つ方は、いつしかそのことを思い出にして忘れてしまうというのです。すると命を捧げた方は、馬鹿らしくないか?いえ、そうではありません。愛する人への想いや行為は自分のもの、相手の想いや受け取り方で変わるものでは無いはず。自分がそれで良ければ良いのです。こうして、ミホやテウンの選択ははっきりとしたものとなっています。
まあ、こんなに軽いドラマなんですけど、いろいろいっぱいなテーマみたいなものが感じられました。さすがの脚本ですね。
心に残った名シーンは2つ、ひとつは8話でテウンから花束をもらったミホがテウンに「私のこと好きになれる?」と問うシーンです。この時のミホは、暗い背景に浮き出るような白系の服、アクセントに花束という映像的にとっても美しいです。 私なら、「はい」と即答しそうです(笑)が、よーく考えると、この娘は狐の妖怪・・・人と狐は違うのです。テウンはもちろん答えることができません。ミホの希望は、私がクミホでも好きになって欲しいということでした。どんなに仲が良くても、テウンはミホに好きという言葉を発しません。ここが、次の感動シーンの最大の伏線です。ミホはどんなにテウンが好きでも、その心をもらえないのです。
そして、11話のテウン告白シーンへと続きます。別れを覚悟した100日契約、人間と狐の妖怪との恋という障害のため苦しむミホとテウンですが、11話でついにその二人の想いが重なります。大学近くの聖堂でテウンはミホに「2人が違うことは、好きだから大丈夫だ!」と言います。まさに、この言葉をどれだけ待ったことでしょう。そして、ヨチン(彼女)と言われたミホにテウンのキス!いいよ~~ここ(笑)この後、いちゃいちゃシーン連発^^
さて、私の感じたこのドラマの欠点は、テウン叔母ミンスクとパン監督の恋のサイドストーリーがあまりに笑いに振っていることです。この2人のシーンがでてくると、テウンとミホの恋に集中していた気分が空振りする気がしました。人によっては、おもしろくて良いと思うかもしれませんが、私は駄目でした。そして、ファンの方には申し訳ないのですが、このドラマのテウン役のイ・スンギさんとトンジュ役のノ・ミヌさんが、別の人だったら良かったのにと、思いました(ど~も好かんって感情です。まったく個人的な感想ですからごめん)そして、最終話あたりのストーリーの流れのわかりにくさが問題です。いくらなんでも、日食でそんなことが起こっちゃぁ非現実的で、口が開いたままになります。終盤の三神ばあさんと子供妖怪の存在・さばき方もいくぶん@@です。ということで、いつの間にか眠っていたというシーンもありましたよ。
以下強烈なネタバレです。注意。
ところで、途中で、私の予想した最終話のおとし所って・・・・50日でテウンの体から取り出した狐の宝玉をミホが自分の体に入れず、保管していましたから、うまい~脚本って思ったわけです。つまり、ミホが人間になるため、狐として死亡する瞬間、テウンの命の半分を持った玉を戻して、ミホは人間になると予想したわけです。最終話間近は、ミホの命を戻すための宝玉の行方を巡って、エピソードを積み重ね、最終話で、死に向かうミホに戻すべく宝玉をもたないテウンを描き、ギリギリのところで宝玉を戻すって感じに展開すると思ったんですね。そして、愛する人と同じ立場で暮らすという幸せは、時間で計るものではなく、自分の命の長さ半分を失ってもまったく問題ない・・と締めると思いました。ところが、脚本家はそう作らなかった。ミホが消えるという最大の山場シーンをどうしても撮りたかったんでしょうか。
三神ばあさんとの約束と天のきまぐれ・・・で終わらせちゃ、私にはファンタジー過ぎました。とっても残念。この最終で、人に勧めるのがちょいと怖い気がします。視聴対象年齢は、ちょっと下という気がします。ストーリーの流れは読めていますので、自分がこのドラマに何を見るか?それによって評価が分かれると思います。大きな感動を与えてもらえるわけではありませんので、楽しく見られるかどうかがポイントでしょう。それでも、有り余るほどのミホの可愛さで、私は、個人的に、このドラマを好きというほかありません。可愛い女性から、街中で大声で「とっても、とっても、とっても、とっても、大好き~!!」(どっかの歌詞ではありません^^)って言われちゃ・・・テウン幸せ過ぎ(笑)
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