日本のドラマ「もう一度、君にプロポーズ」見終わりました。
日本のドラマ「もう一度、君にプロポーズ」全10話見終わりました。良いドラマです。このドラマには、大きな盛り上がりがありません。派手な音楽もなく、画面に映る演技者を最低限サポートするさりげない弦楽器の調べ。その時の主人公達の気持ちはこう?と・・・わかりやすく作られていません。いろいろな伏線や小道具と和久井映見さん、竹之内豊さんの繊細な演技から、いろんなことを視聴者に考えさせる。ですから、ドラマ以上にとっても大きな世界を含んでいます。視聴者は、この押しつけがましくないドラマを見て、なにか優しい気持ちになるのです。そう、優しい気持ち・・・・ドラマ中の波留の優しさが浸みてきて、その優しい気持ちが芽生えた自分に満足するドラマだと思います。
わかりやすく、刺激の強いドラマを好きな人には決して勧めることができません。見る時の、自分の環境も重要です(騒がしい所や、何かをしながら・・・ってのも駄目)。やかましい周囲の人のエピソードは無視して、波留と可南子の感情に注目・・・!これでいけます。ストーリーは表題を見ればわかるわけですから、そこに何を見るか?見終わった時、ちょっぴり人に対して優しくなった自分に、よかったね、ありがとう・・・と言えば、OKです。
さて、このドラマの最終話へ向かう展開は、実は急いでいると感じました。あれほど、動かなかった可南子の心が波留へ向かうところは、もっともっとしっかり描いて欲しいのです。韓国ドラマに慣れた私には、10話で終了ってとこで、え?ってな衝撃でした。まだまだ、この話・・・延ばせると思ったのです。記憶を失った可南子が、波留という人間を、新しい目で受け止め、その人に惹かれていくという過程を見たかったのです。前半のかたくなな可南子ですから、後半は、波留の優しさがそれを溶かしていく場面がもっと見たかったのです。そして、クライマックスは、記憶が無くても、この人が私の夫で良かったという可南子と「男は優しいだけじゃ、だめ~」を実行する波留の強引なプロポーズ&キスってのを私は頭の中に作っていました。ごめんなさい。これじゃ、普通のドラマになってしまいますね。ですから、この淡々としたペースを最後まで持って行った脚本家の勇気に乾杯!もし、DVDが発売されたら、見た人の評価は「退屈」と「しっとり良い」のまっぷたつじゃないでしょうか。
以下、大いにネタバレしており、まとまりのない長い走り書きでございます。
では、8話の副題は「始まりと終わりが重なる時…辿り着く答えは…?」です。「あなたを幸せにできるのは、一緒にすごしていたころの私・・・」という可南子と、「もとどおりにしたくて、記憶の無い可南子を傷つけていた」という波留。ついに離婚を決意します。そこには、2人の大いなる思いやりがあります。それでも、記憶が無くても、今、失おうとしているものの大きさに、心が反発している可南子がいます。わかんないけど、しちゃいけないこと。記憶のあるなしにかかわらず、これは、私にとって、してはいけない選択と、深層の想いがブレーキをかけるのです。「恋人と夫婦の違いは別れてみないとわかんない」とも言われた可南子は考えています。波留と私は夫婦だった。離婚を受け入れようとしている今、本当にそれで良いのかどうか。可南子の目から涙がこぼれます(このあたりの複雑な感情の動きは良い演出ですよね)。
「幸せになって欲しいと思える人がいる家庭を築いて欲しいと思っている。思い出は捨てるもんじゃなくて、将来の糧にするもの」という可南子母の言葉に、可南子は涙ぐみ何も言えません。幸せになって欲しいと思う人・・可南子の心の中に確かにいたのです。前の私を愛してくれ、記憶のない今の私に優しく接してくれる波留。たとえ、夫婦でなくなったとしても、この人には幸せになって欲しい。そして、追い打ちの母の言葉がきます。「近くにいても、口にださないと伝わらないことってあるんだよね。もう2度と会わなくてもいいの?」母の娘の気持ちを読む力はすごいですよ。はい、8話のすべてはこの後の可南子の言葉にあります。「会いたいよ・・」可南子の口から発せられた、この5文字の言葉に今の可南子の心の全てが表れています。言っちゃった・・という可南子の表情が良いですよね。口に出してしまうということは、怖いことで、耳から入る言葉は客観的な事実となって、自分の気持ちを確認することになります。波留に向かって「ごめんなさい。あなたは誰?」の状態からしてみると、すっかり可南子の心が動いています。時々、回想シーンが入るのですが、そこでの可南子と今の可南子が明確に違うのがわかる演技をしているので、和久井映見・・良い女優だと思いました。
「なんか会いたい」という気持ちで訪れた波留とかつての自分の家に、荷造りされたダンボールを見つける可南子。このままにしておくと、、ここに自分の居場所がなくなるんだという気持ちの中で、可南子は、自分の日記を見つけます。そこには、失われた過去の自分の想いが・・・記載されています。それを可南子は読むことができるのでしょうか・・・で次回に続くです。まあ、日記を読めば、過去の自分の気持ちや体験を追随できるわけで、見かけ上、記憶を取り戻した状態になるでしょう。しかし、過去の経過を取り戻せても、人の心は違う。その日記の中に書かれた自分は自分では無いのです。
そして9話。副題は「最後の思い出〜大切な人の笑顔…そして、涙」むむ、この題名は何?
可南子は、まだ、自分の失われた記憶の5年間の日記を読むことが出来ませんでした。読むのが怖かったのです。今、何となく惹かれている夫の波留に向かうかつての自分の気持ち。物語ではなく、自分がそこにいるのです。(パラレルワールドにいるみたいな感じでしょうね。)もともと、日記は父が生きていた頃に言えなかったことを記載することから始まっていました。だから、波留との生活がつづられている日記を読むことは、夫婦間で言えないことが書かれているかもしれません。良いことや悪いこと、いろんな波留との日常の記憶を可南子は、まだ受け入れることができないようです。解答は、このドラマのいろんなところに見え隠れしています。「明日へ向かおう」という気持ちですよね。「いつかちゃんと日記を読みたいです」という可南子に、過去を受け入れて、明日に向かって生きるという意志が見えています。
9話は、波留の育ての親太助・・・のシーンで涙する人がいっぱいいたと思います。波留の父太助が病に倒れたと聞き、見舞いに向かう可南子。夕飯を一緒に食べる可南子と波留と太助・・・そこには、確かに家族があります。視聴者は、あれ、波留と可南子って、もう夫婦みたいじゃんと感じたことでしょう。私は、ここは早いと感じました。可南子の垣根が取れるのが早すぎると感じたのです。しかし、可南子の気持ちは8話の「会いたいよ」で実は決まっていましたから、良いのかもしれません。ドラマの中で、すべてを決めるかもしれない台詞、6話の波留の「可南子、離婚しよう」と8話の可南子の「会いたいよ・・」は、演じてる人がどう言うか・・ひょっとすると、この2つの言葉を言う竹之内豊と和久井映見を見るドラマなのかもしれません。
そうして、波留の「離婚届け、まだ書けてない」という言葉に、可南子は自分の気持ちを述べます。「このままじゃ駄目ですか」離婚は嫌という意志表示です。「お父さんのために・・」という、後の言葉に「私のために・・・」という可南子の言葉が見えています。波留と可南子が並んで歩く姿に夫婦を感じますね。前半になかったこの感覚。どこから生じているのか不思議です。画面に映る2人は、思いやりという気持ちをまとった夫婦に見えるのです。2人の距離?歩き方?現実に、年取った老夫婦が並んで歩いているのを見ると、そこに、2人歩んできた人生を垣間見る気がして・・そんな感覚です。
修理された思い出の車に乗って、波留と可南子と太助はドライブに出かけます。もちろん修理された車は、2人の関係が修理されたことを暗示していますよね。海岸で太助の言った言葉に涙した人も多いでしょう。すでに、死を間近にした太助から可南子に告げられます。「波留と家族になってありがとう。覚えていなくても可南子さんは可南子さんですから・・」深いぞ~この言葉。父として、波留を幸せにしてくれてありがとう。ここまではわかります。その後、可南子の記憶が無いのに、ありがとうかい?。もはや、可南子の存在自体がありがたいということでしょうか。人と人とが出会い、そこで、いろいろな経験を積み重ねる。辛いことや楽しいこともあるでしょう。何十億という人の中から、あなたに巡り会えた時間をもてた偶然に感謝しないといけません。それは、波留にとっても同じ。父として言っておきます。ありがとう・・・ということにしておきますね(別意見あるでしょう^^)。
ここの海岸シーンはとってもきれいで、マンネリ夫婦にとって、身の程も知らず、こんな時間が欲しいという夢を与えてくれます。さあ、隣にいる人を誘って「人のいない海に行こう!」そして、悪態をつきながら、こっそり「ありがとう」と心で言ってみたら・・・ほら、ちょっぴり人生が変わりました。おいおい・・^^
9話の視聴率がついに2桁に乗りました。裏に良いのがなかったのか、微妙な人気なのか?地味なドラマなので一般うけするとは思えませんけどね。
そして、最終話「ついに、人生二度目のプロポーズ!ありったけの愛を込めて君に」です。もったいない。もっと時間が欲しい。太助の葬儀の後、波留の力になりたいと願う可南子は、波留とともに自分のマンションを訪れます。夕食を作る可南子・・エプロン姿の可南子は、ぴったりとはまっていて、一緒に食事をとる2人は夫婦そのものです。男女間で、2人きりで一緒に食事を取るという行動は、2人の関係がちょっぴりアップしたことを意味していて、女性の手作りのごはんを2人で食べるという行動は、関係アップアップアップ(溺れているのではない)という気がします。
ここで、波留は「幸せのために別れよう」と思ったけど、それが正しいことかわからなくなったと言います。「私も・・」という可南子の表情にかすかな笑みがうかぶのが見えます。こんな微妙な表情をみられるのが楽しいドラマですわ。ソファで眠り込んだ波留に毛布を掛けて、自分の日記を読もうか逡巡する可南子。おい、いきなり朝のシーンかい。可南子は、服はそのままだし。寝たのでしょうか?目の前に眠る波留を眺めながら、一晩すごしたのでしょうか?う~ん想像しなさいということですね。朝食を準備する可南子に、一晩とまっちゃって、男性の朝ご飯準備しちゃったという照れがあり、見てても楽しいです。夫婦の時は当たり前の行動なんですけど、それが夫婦(恋人)どおしの行動だと意識しちゃったから、照れがでたということでしょう。
そして、ついに可南子は日記を読みました。一晩中、夢中で読みました。そこには、幸せそうな自分がいました。100点満点ではない旦那さんでしたが・・・すごく幸せな自分がいたのです。可南子は、そんな幸せな自分をとりもどしたくて、記憶が戻るかもしれないと、日記に書かれた思い出の場所を巡っていました。一方、波留は自分を生んでくれた母と出会い、子供への想いを感じ、家族・子供をつくって次に繫いでいくことの大切さを感じます。こうして、波留は外されていた指輪を持って、可南子を捜します。
そして、2人が結婚式をあげたチャペルで・・・ここからは、もういいです。書きません。いや書こうか。もう、竹之内豊ぁ~~この野郎ぉ~の決め台詞をとばしますので、全国のお茶の間視聴者は、もういい・・どうとでもしてぇ~状態となります。でだしの可南子「どうして、ここに?」波留「可南子に会いたかったから・・」での直球勝負ではじまります。あまりのまっすぐなため、、言われたほうは、ドキドキで・・・あとの言葉は視てからのお楽しみでどうぞ・・・竹之内さん(波留と書いてませんよ^^)に、ああいわれてNoという女性はいないだろう^^しばらくは、まだまだ、敬語がまざる可南子に、新しい2人の関係が感じられて良いです。
そして、6年後・・・6という数字に意味があります。失われた記憶の5年を越えました。夫婦が続いていくことの理由・意味は何だったのでしょう。「お帰りなさい」「いってらっしゃい」を言える幸せと側に居る人の大切さをに気づいて、2人で末永く生きていこうということです。人は、本来自分の幸せを求めます。ここに、愛という感情が入りますと、家族や妻や子供の幸せを考えるようになります。自分以外の人の幸せを祈るって、口では簡単だけど、とっても難しい。そういう幸せをとっても祈る人がいるという幸せを持ちましょうねということですね。
DVDが発売されるみたいです。付録に「可南子の日記」なんて付けてくれたら、それ目当てで買うかもしれないなぁ(笑)
長い感想を読んで下さいましてありがとうございました。あまり推敲せず、そのまま載せたため読みにくいと思います。すみません(ちょっと忙しいの^^)
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