韓国ドラマ「朱蒙」55話まで見ました。何となく予告編を見ていたら、このあたりが区切りみたいなので感想を書きます。以下、あらすじなんで、見てない人は注意!
43話、チュモンは、ソヤと結婚し、見かけ上テソの部下として信頼を得るために「流民狩り」みたいなこともやるわけです。チュモンひどい!とみんな思うわけですが、そんなはずはなく、ついにチュモン・・・後戻りのできない道を進み始めました。このあたり、ソン・イルグクさんの表情が無表情なんで、何考えてるかわからん奴って感じです。
44話、ついにチュモンは、建国への道を踏み出します。流民を引き連れて、そのまま逃亡して、砦をつくってボチボチと・・・というわけですね。母ユファは、クムワ王の元に残ることを決心しています。いいけど、息子としては、母を人質に取られているという状態ができてしまいますよね。母ユファは死を覚悟して残るようですが、そりゃ間違いでっせ。死ぬ気があるなら、クムワと扶余を見捨てて、息子の大望のために、扶余を脱出するのがスジですよ。扶余に残ることは、明確に息子の大望の足手まといです。なら、何があろうと、扶余を去るか、自ら死ぬかしないといけません。ユファは、好きな役ですが、ちょいと腑に落ちませんでした。
で、45話で、逃げようとしたチュモンの妻ソヤは扶余脱出に失敗し、捕まってしまいました。ありゃりゃ、これで、人質2人になってしまいましたよ。通常、日本の戦国時代ですと正室と母を相手国にさしだすと、ほぼ何もできず言うとおりにするしかありません。チュモンは、しかたないので「生きてりゃ何とかなる」みたいな感じで、流民の脱出のほうに専念します。怒りにまかせたテソですから、反逆者の家族は即、殺されることを覚悟したのでしょう。あの状況では、2人の生命は無いと思うしかありません。テソが自分の信頼を裏切ったと激怒していますが、確かに、チュモン父を軽く抹殺し、その首を漢太守へ差し出すということをしてますから、そんなことを言えた義理ではありません。
46話は、仲間を増やし、勢力を増していくチュモン率いるタムル軍の姿が描かれます。すでに、母と妻は死んだと思ったチュモンにとって、まだ、生かされているとはラッキーというわけで・・・そのまま、放っぽらかしかい^^。まあ、それが大望へ向かう男の姿として正しいと思いますが、ヘモスの言葉の「身近な人を助けられないで、民を助けられるか」というのに、私としてはちょっとひっかかります。一方ソソノの部族ケルは、苦難の時を迎えます。初めて出てきた時に、この顔はどう考えてもチョイ役だと思ったソンヤンの属国になるとはねぇ。こうなるとヨミウルの予言が頼りですか^^。ソソノは後に百済を建国するのかな。となると、ここは辛抱!辛抱!。この百済建国についても、いろんな歴史書があるみたいで、何がなんだかさっぱりわかりません。歴史は時の為政者によって都合の良いように歪曲されるといういいかげんなものですから、私たちが学んできた歴史なんか本当かどうかわかりません。中国や朝鮮では、特にその傾向が強いようですから、要注意です。ともあれ、このドラマも、チュモンの高句麗建国へ向けたファンタジードラマとして割り切って見ないとね。
47話、砦に立てこもるチュモンをテソが攻撃にきますが、待ち伏せ作戦にひっかかって敗走します。漢の鉄騎兵もいたからテソのダメージは大きいですね。やはり、チュモンの軍の武器が進化して、鉄騎兵の装甲を破れるようになったのが大きいです。装甲を破れるなら、重い甲冑を付けている分だけ、動作が鈍くなりますから、大きな的と化してしまいます。そして、負けちゃったテソは、ついに伝説のあの作戦(笑)を決行します。兵士を流民に扮装させ、助けにきたチュモンをやっつけるというヘモスを生け捕った方法です。この方法を知るのは扶余大臣プドゥクプルとヨミウルですが、ちょうど、ヨミウルがいないときに、この知らせがやってきて、チュモンGO!となっちゃうのです。やばい、どうなるんだぁ。2代そろって同じ手にひっかかるかぁ。
とまあ、期待させるわけですが、48話でヨミウルが登場し、逆手にとって扶余大敗北となります。ここで、テソの護衛側近ナロを殺せるのに助けたチュモンです。あの~、腕の立つ敵を一人助けただけで、味方は何十人も命を奪われることになります。戦争においては、残念なことに命の価値が違います。最も命が重いのは、指揮者、軍師、ついで、腕の立つ人物、そして兵士の順です。ここは、ナロを殺しとかないと、損じゃないかなぁ。
そして、テソは最終手段にでます。母と妻を助けたかったら、扶余まで来いというわけです。これって、よ~く考えると無茶苦茶な論理ですよね。お金や利権とかを要求しているならわかりますが、お前の命はもらうというのと同じで、おまけに妻と母も解放されるかどうかわからないという、まったくもって不利な取引です。すでに、覚悟していた事項の蒸し返しですから、お好きにどうぞってな感じでも良いかとおもいますが、リーダーとして、人を率いる立場にいたらそうはいきません。軍にとっては駒のひとつであっても、本人にはたったひとつの命です。それをリーダーが安易に切り捨てるとなれば、誰もついてきません。こんなちっぽけな俺でも大事にしてもらえるという意識がないと命は賭けられないのです。もちろん、優秀なリーダーたるチュモンは、母と妻を見捨てることができません。ポーズでも、命を賭けて助けに行かないと駄目なのです。これは、リーダーとしての資質を問う試験ですから、無視したらリーダーの資格無しとなりますので、助けに行って失敗しても同じことなんですよね。
49話で、ユファの血書を読んだチュモン。「大業のために、私たちは見捨てなさい。もし現れたら、私は自害しますよ」という内容です。お涙ちょうだいシーンなんですが、ちょっと無理^^。先ほど述べたように、ユファは初めから扶余脱出を試みてないわけですから、いまいち感情移入できませんでした。
ソソノの助けもあり、扶余宮の秘密通路を知り、潜入したチュモン一行です。50話、潜入してもやはり警備は堅く、ユファに会うのは困難でした。やっとのことで、妻ソヤに会いましたが、ソヤも病床のユファのもとを離れないと言います。あの~あなたのお腹にいるのはチュモンの跡継ぎでっせ。扶余に残ることは、高確率で死を意味していますから、それはちょっと違うんじゃないの?チュモンも、ソヤの論理を認めて、妻と子を扶余において去るとは問題でしょう?そのうち子供も人質になっちゃうよ。跡継ぎとしては、別の側室を捜して子供を産ませれば良いという時代だったのなら、そんなに重要な点ではありませんが、チュモンのイメージがくずれるよね。あそこで、妻と会えたら、妻だけでも連れて帰るというのが普通だと思います。
ソソノは、チュモンひきいる軍に頼ることは時期尚早と考えています。なぜなら、小部族のケルは、漢と扶余に睨まれては生きていけないと思っていますから。ソソノの財力、チュモンの軍と両者がくっつくと強大な力となります。それまでの辛抱というわけですね。さて、苦難のケルが立ち上がる時が、次の焦点となるでしょう。
さて、これからは、テソの治世は失敗し、漢から属国扱いを受けるは、民から信頼されないわで、問題ありの施政者となります。扶余を心配した大臣プドゥクプルは、再度クムワ王を立て、クーデターを起こします。見事成功し、テソは牢獄へ、クムワ王は復権とめでたしめでたし。これで、チュモンとクムワ王は手を取り合って、漢に対抗と思ったのですが、そうはいかないのです。実権は、大臣プドゥクプルにあり、扶余のためにはチュモンのタムル軍は反乱軍と認識しているわけです。かくして、チュモンは扶余で捕らわれ、殺されそうになりましたが、危機一髪で逃げ出しました。その事件の最中で、神女ヨミウル死亡。ヨミウルは、クムワ王の陰の部分を言い放つ存在でしたから、とっても残念です。通常、視聴者は、クムワ王を善い者として見ているのですが、ヨミウルの発言で、「いや違う。クムワ王のそこにはそういう意図があったのか」という別の考えを提示されてきました。最後は、「権力に固執するクムワ王が、言葉通り、チュモンにその座をゆずるとは思えません」とヨミウルは言い放ちます。いやあ、惜しい人を亡くしました(涙)。
こうして、クムワ王復権、テソは国境警備隊へ左遷、ヨンポは扶余の馬屋番、チュモンは勢力拡大中、ユファとソヤはそのまま扶余在中で、ソソノのケルは辛抱の時、漢の太守ヤンジュンは力を降下中という構図で、何年かたつのでしょうかね?
え~と、私としては、このドラマはまってみている感じではありません。ときどき眠くなりますが、まあ、楽しくみています。「海神」よりはおもしろいかなぁ^^。
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