韓国ドラマ「ケセラセラ」全17話見終わりました
韓国ドラマ「ケセラセラ」全17話見終わりました。初めは、コメディタッチで始まったこのドラマ、けっしてコメディではありません。4話くらいまでの展開と演出、ウンス役のチョン・ユミさんを見て、よくあるパターンの楽しいドラマだねなんて思っていたらとんでもないことになりますよ。ある意味、あのドロドロドラマ「愛していると言って」に匹敵するような、愛憎うずまくシリアスなドラマです。エリックさんとチョン・ユミさんの容姿から、この展開を誰が予想したでしょう。(勝手にイメージつくるなって・・・^^)
私も韓国ドラマをたくさん見てきましたが、このパターンからいくと、こうなるだろうなという展開・予想を裏切り続けます。この意外性がこのドラマを見させる原動力となってました。何度、「え~そんなことするのかよ~」と言ったことでしょう。見ていても、切なくて胸が苦しいというより、視聴者をいじめているような気がしました。中盤から最終話まで、本当にずっとずっ~と、見ている人を感情的にいじめ続けるのです。私は、一部を除き涙をさそわれることはありませんでした。しかし、メインの4人の苦しみが伝わってきて重苦しいのです。どうして、そんなことになるんだろう。もっと簡単にならないのかという思いとは別に、物語は難しいほうへ難しいほうへ推移していくのです。このドラマの終わり方は良かったと思います。私は、やっと、このドラマの「いじめ」から解放された気分です。長く長く待っていたこの解放の瞬間をあじあわせるのが、このドラマのすべてと言ってもよいと感じました。すると、気持ちは「あ~良かった」となってしまうのです。結果から見ると認めたくないけど、はまったということになるのでしょうね。
きっと、このドラマの繰り返し襲ってくる「視聴者いじめ」に耐えられない人がいることでしょう。すると、お馬鹿な4人が織りなすひどいドラマでつまんなかったというはずです。私も、かなりそういう気分にさせられました。しかし、「こんなはずは無いだろう。何とか幸せな道があるはずだ。」と信じ続けるということを強いるドラマなんです。私は、ドラマを見るときに、感情を揺さぶられるかどうかが、大きな評価点としています。そういう意味では、このドラマは、大きく私の気持ちを捕まえたことは間違いないのです。で・・結論を言いますと、決して人には勧めませんが、終わってみると終わるのが惜しくてまだ見たいと思わせる・・私の感情を捕まえたとっても高レベルのドラマだと思います。その人がどうしてその選択をしていったのか、最後まで見て、よく考えながら、もう一度初めからふり返って見てみたいと思わせるドラマです。絶対に・・・このドラマの評価は分かれるでしょうね。好き嫌いがあるはず・・・。このドラマは「大祚栄」という大河ドラマの裏だったため、視聴率が取れませんでした。視聴率って、大河ドラマがあると本当にあてにならないんですね。以下ねたばれ
さて、韓国ドラマの法則「婚約式はすっぽかされる」は、はずされました。「結婚式は、最後に片方が式場から逃げ出す」も、はずされました。「結婚前の恋する男女が一夜を共にすると妊娠する」もはずされたのかな。中盤以降、自分の頭の中でたてた予想はことごとく外されています。ですから、もうどう終わるのか予想もつきませんでした。後半、あの傲慢なヘリンはとっても可愛い(口は悪いけどね)女性へと変わっていきます。自分に心が無い男への愛し方・・・もともと、自分中心の性格ですので、自分の恋心が満足できれば良いだけなのかもしれません。でも、言葉の端々に、テジュへの愛を感じるのです。これが、怖いことで、テジュがヘリンの愛を受け入れても幸せになれそうだと思わせる働きがあって、先の展開を読みにくくさせます。
一方の、ウンスはどうでしょう。ウンスは・・・もう、無茶苦茶な世界へ、どんどん入っていきます。前半に感じた少女性は、とっくに失い、愛に苦しむ一人の女性として描かれていきます。報われない愛が苦しいから、逃げるという選択はわからなくはないですが、ドラマ中のみんなが言っていたように急ぎすぎました。人間、感情が高ぶっていると、決断力もすごいことになります。重要な決断は、必ず時間をおいて決めましょうね。迷いは、その道を進むなという警告です。冷静な時に迷いなく決めた道が進むべき道で、たとえ間違っていても後悔は少ないでしょう。ウンスの精神状態は、もはやボロボロでした。初めての恋・初めての感情を失ったことに、耐えられなかったのです。もう一度言いますが、結婚は、どうしても急ぐべきではありませんでした。失恋の痛みを和らげるために、時間と距離をとれば良かったのですが、結婚するという意味を実感できなかったのか、一番つらい選択をしたと思います。テジュとヘリンの結婚式もやっちゃたら、もっとひどいことになったでしょうが、さすがにそこまではやりませんでしたね。途中で、ウンスが妊娠したので、これはテジュの子供だと思い、これまた、ひどいことになったと思ったのですが、違ったみたいです(これって脚本家の作戦なんだろうね。ドラマ途中であんな幸せな婚前旅行シーンを持ってくる必然性を、普通、視聴者は考えるよぉ~)
さて、泣きのスイッチが入ったのは、最終話でテジュがヘリンに別れを告げるところです。テジュの別れの言葉が良かったです。「ウンスじゃなくて、お前の本気に対して答えることができない。お前に対して悪い。」そこで、ポロっときました。残念ながら、ウンスの方では自分で選んだからしかたないとの思いが強くて泣けませんでした。ジュニョクがウンスを手放すシーンでは、「もうウンスとジュニョクは一緒に米国に行くんだね。辛かったけど救われるかも・・だって、夫婦だもんね」と覚悟して見てまして、普通だったら、予想できる展開すら読めないという逆の意外性にやられてしまいました。え?ここで、このありがちな展開くるの?とびっくりした次第です。そのため、感情移入ができなくて、涙誘導シーンでしたが、ちょっとポロッときたくらいで案外冷静でした。それよりも、やっと、目の前に道が開けたという喜びのほうが大きかったです。
再会したときのテジュのウンスへの言葉は「ありがとう」でした。テジュはプレイボーイだったのですが、本当の恋をしたことがなかったのが、この不幸を誘導した最大の原因です。とまどったんですね。ウンスとの恋に・・・。一人の女性を愛し、相手からの愛に応えていくというあたりまえのことを知らなかったんです。この恋愛を通じて、傷つけ続けた女性に、自分の成長を感じながら、「ありがとう」という言葉は、どうしても伝えたかったのです。恋愛だけでなく、人と人との出会いには、いつか必ず別れがあります。その時には「ありがとう」という言葉が一番素敵だと思いました。
もうひとつ気づいたことは、テジュは決してあのマンションの部屋を動かなかったことです。ドラマ途中で、人に貸していったん出て行ったこともありますが、あのマンションの部屋自体がウンスを象徴しているのでしょう。後半テジュは、あのマンションの自分の部屋に逃げ込んでました。ウンスとの数多い思い出のある場所に住み続ける男、それは、いつまでも彼女を忘れられないという気持ちに違いありません。忘れたい時には、引っ越したいと思うのが普通です。
このドラマで感じたことは、「心が別のところにある人と暮らすのは、地獄」と「恋愛は人を変える」ということでした。これまた韓ドラでよくある言葉なんですが、「お前が別の男を好きでもかまわない。待つから結婚しよう」なんてのは、やっぱり難しいです。どうしても独占欲がでてきて、やさしく包んであげるはずだったのが、ついには厳しい皮肉を言ってしまうのがミエミエです。人間はモノでは、ありませんから、結婚という所有方法をとったからといって、心は手に入れられないのです。まあ、中途半端な好きさかげんで結婚しても、その生活に満足すれば愛情の%は上がっていくはずですが・・別の人を忘れるための結婚なんて、うまくいくはずもありません。結婚には、ある種の妥協が必要ですが、そこに愛情があるということが、絶対の前提です。
恋愛を経験してからの、このドラマの2人の女性の変わりようにはびっくりしました。恋愛はこれまで自分が築いてきた価値観に、他人の価値観を受け入れることが基本にあります。そうすると人が変わるのは当然だと思います。
表題の「ケセラセラ」とは「なんとかなるさ」とか「なるようになれ」というような意味です。これはテジュの生き方かと思いましたが、後半のウンスやジュニョクの生き方かもしれません。まあ、なんとかなるだろ、結婚しちゃえぇ~~みたいな感じ・・・でも、結局「なんとかならない」のが人生。これは、自分に言い聞かす言い訳の呪文・・・。でも、こういう言い訳が無いとストレスたまって生きていけません。「ケセラセラ」と精神的な逃げ道は用意しとかなくちゃね。
最終シーンは遊覧船でデートのやり直しって感じかなと思っていたら、やっぱりはずされて、テジュのドアの前でした。これは出会いのシーンと同じで、あ~また2人の恋が始まったということを暗示させます。どこかをほっつき歩いていた猫がまた、家に戻ってきた・・・頭をツンツンするとニコッ・・・そんな感じのエンディングで屈指の出来の終わり方です。今度は、是非幸せになって、あのウンスの子猫のような笑顔をそばにおいて欲しいと願ってやみません。やっぱり、ハッピーエンドにしてくれて良かった。これで、「それぞれは、別の人生を生きていく」なんてドラマにしたら、サイテーと言ってましたよ。いいドラマでしたぁ~。私にとって、大好きなドラマのひとつになりました。見終わった後、けっこう後ひきます。このドラマ・・・すごいなぁ。精神的にいじめられたい人(笑)限定でおすすめ。
「会っても知らない振りをして」という言葉は、「いつどこで会っても自分に気づいてくれ」という意味とは・・・メモメモ
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